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名古屋高等裁判所 平成7年(ネ)647号 判決 1996年3月26日

控訴人 村瀬弌

右訴訟代理人弁護士 尾関闘士雄

被控訴人 豊明農業協同組合

右代表者代表理事 平野朝光

右訴訟代理人弁護士 楠田堯爾

加藤知明

田中穣

魚住直人

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は控訴人に対し、二三〇〇万円及びこれに対する平成六年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  仮執行の宣言

第二事案の概要

本件は、控訴人が物上保証人として被控訴人に対し、控訴人所有の原判決別紙物件目録≪省略≫記載の土地(以下「本件土地」という。)に根抵当権を設定したところ、債務者が弁済を怠ったため、右根抵当権に基づく競売手続が開始されたが、売却許可決定後に控訴人が被担保債権を弁済供託したから被控訴人が根抵当権設定登記の抹消登記をすれば売却に至らなかったのに、被控訴人がこれを怠ったため、控訴人は本件土地の所有権を失う結果となったとして、被控訴人に対し、本件土地の時価相当額二三〇〇万円について不法行為による損害賠償を求めた事案であり、原判決は控訴人の請求を棄却した。

一  争いのない事実等は、原判決二枚目裏二行目「被担保債権とする」の次に「債権額一二〇〇万円の」を加え、三枚目表四行目「平成六年三月四日」から同五行目「村瀬東において、」までを削る外は、原判決の事実及び理由欄「第二 事案の概要」「二 争いがない事実等」に記載したとおりであるから、これを引用する。

二  争点

1  債務者の弁済供託により根抵当権は消滅したか

(一) 控訴人の主張

平成六年三月四日現在の被担保債権は、本件貸金債権の残元本九二六万二一三一円、平成四年九月二七日までの年六・四パーセントの割合による利息九六万一六三六円及び平成六年三月四日までの年一四パーセントの割合による遅延損害金二〇二万六〇二〇円の合計一二二四万九七八七円であった。

債務者村瀬東は、中央信託銀行一宮支店振出の一三五〇万円の小切手を用意したうえ、村瀬一郎を代理人として、平成六年三月四日、電話により被控訴人に対し、本件貸金債権弁済のための資金ができたので、直ちに支払に赴くと述べたところ、被控訴人の担当者は上司や弁護士と相談しなければならないから今日は受領できないと受領を拒否する回答をしたため、一郎は被控訴人を訪れることを断念した。同人は、同月七日、被控訴人の成田課長に電話して、弁済受領の件を問い合わせたところ、同課長は、弁済額は競落価額以上でなければならない、かつ、競落人の同意書をもらって来なければならないなどを理由として、弁済を受領しない旨を回答した。

そこで、村瀬東は、同月一〇日、前記債務額に不動産競売手続費用三九万四六二四円を加えた一二六四万四四一一円を弁済供託したので、同人の被控訴人に対する債務は消滅した。

(二) 被控訴人の主張

村瀬東又はその代理人である村瀬一郎が、被控訴人に対し、本件貸金債務につき弁済の提供をしたことは否認する。したがって、村瀬東の弁済供託は無効であるし、同年三月五日から被控訴人が供託金の払渡しを受けた同年四月二七日までの年一四パーセントの割合による遅延損害金一九万一八四〇円についての弁済もないから、被控訴人が本件根抵当権登記の抹消登記をする義務はなかった。

2  売却許可決定後に根抵当権登記が抹消された場合、競売開始決定は取り消されるか

(一) 控訴人の主張

本件土地の売却実施終了後であっても、控訴人が本件根抵当権登記の抹消された本件土地登記簿謄本を執行裁判所に提出すれば、本件競売手続は取り消された。けだし、担保権の登記の抹消されている登記簿の謄本(民事執行法一八三条一項四号の文書。以下、「民事執行法」の記載は省略する。)が提出されたときは、執行裁判所は既にした執行処分を取り消さなければならない(同条二項)のであり、売却実施終了後であっても、右一八三条一項四号の文書が提出された場合には、七二条三項、七六条の規定は適用されないからである。

買受人の同意がなくても競売手続の取消しを求めることができることは、民事執行法上、抵当権設定者に与えられた権利であり、信義則に反するものではない。

(二) 被控訴人の主張

控訴人が、本件根抵当権登記の抹消登記をし、その登記簿謄本を執行裁判所に提出したとしても、買受人の同意がない以上、本件土地の競売手続が取り消されることはなかったから、控訴人の主張は理由がない。

第三当裁判所の判断

一  成立に争いのない≪証拠省略≫、弁論の全趣旨により成立の認められる≪証拠省略≫(後記認定に反する部分を除く。)、≪証拠省略≫により原本の存在と成立が認められる≪証拠省略≫及び成立に争いのない≪証拠省略≫(後記認定に反する部分を除く。)によれば、村瀬東は、中央信託銀行一宮支店振出の金額一三五〇万円の小切手を用意したうえ、平成六年三月四日、兄村瀬一郎に依頼して、同人から電話で被控訴人の成田融資課長に対し、本件被担保債権について一四〇〇万円くらい作ったので弁済したいが、できるなら極度額一二〇〇万円でお願いしたいと申し出たところ、成田は競売の落札者がいるので上司や弁護士と相談して後日返事をすると答えたこと、同日現在の本件被担保債権残額は控訴人主張のとおりの合計一二二四万九七八七円であったこと、被控訴人は、弁護士と協議して内部の意思を決定したうえ、同月七日、村瀬一郎からの電話に対し、成田において、債務者である村瀬東が弁済すること、東において落札者の承諾を取り付けること、落札金額である一四〇一万円以上を弁済すること、以上の条件が満たされるなら弁済を受領することを回答したこと(被控訴人が被担保債権を超えて一四〇一万円以上の弁済を求めたのは、被控訴人が本件競売手続において所有者の剰余金交付請求権を債務名義に基づき一五〇万円の限度で差し押さえていたためである。)、村瀬東及び同一郎は、前記小切手を持参して被控訴人に現実に提供することはせず、小切手を現金化して、同月一〇日、被控訴人に対する残元金九二六万二一三一円、平成四年九月二五日までの利息九六万一六三六円、平成六年三月四日までの遅延損害金合計二〇二万六〇二〇円、競売手続費用三九万四六二四円と内訳を明示して総合計一二六四万四四一一円を弁済供託したことが認められる。

右の事実によれば、三月四日の電話によっては、弁済金額に関する打診がなされたというにすぎず、現実の提供はなかったものであり、口頭の提供の要件が備わっていたとの主張立証もないから、弁済の提供があったものとはいえないけれども、同月七日の一郎の電話は、四日の電話に引き続くものであり、四日の申出を維持して被控訴人の意向を尋ねるものであったのに対し、被控訴人の回答は、提示に係る条件が満たされない限り弁済を受領する意思がないことを明示したものといえるから、村瀬東が供託した一二六四万四四一一円に関する限り、被控訴人があらかじめ一四〇〇万円未満の弁済の受領を拒絶するとの意思を表明し、これに対して一郎が一四〇〇万円までの限度で弁済の口頭の提供をしたものということができ、同月一〇日の弁済供託により、弁済額相当の債務が消滅したものといえる。

そして、右供託においては元本・利息・遅延損害金・費用(競売手続費用は弁済のための費用として債務者の負担となり、かつ、根抵当権によって担保される。)のそれぞれについて弁済金額を明示しているけれども、民法四九一条一項の規定に反する充当の指定は無効であり、同条同項の順序に法定充当されるところ、成立に争いのない≪証拠省略≫及び弁論の全趣旨によれば、右供託時点で競売手続費用は少なくとも四三万六〇八九円(≪証拠省略≫の競売手続費用の合計額四四万五五四五円から送達費用九四五六円を減じたもの)であったから、右手続費用について弁済の効力を生じ、次いで遅延損害金・利息・元本の順に充当される結果、元本のうち少なくとも四万一四六五円の弁済に不足であったことが認められ、右弁済供託によって控訴人主張の根抵当権が消滅したものということはできない。

したがって、被控訴人は、右弁済供託によっては本件根抵当権登記の抹消登記をすべき義務を負わなかったものであり、この義務の不履行を不法行為とする控訴人の本訴請求は、理由がない。

二  なお、控訴人は、不動産競売手続において売却許可決定後に担保権の登記の抹消されている登記簿の謄本(一八三条一項四号の文書)が執行裁判所に提出されたときは、執行裁判所は競売手続を取り消さなければならないのであり、この場合に七二条三項、七六条は適用されないから、最高価買受申出人の同意は必要ではなく、被控訴人は控訴人の弁済供託後本件根抵当権登記の抹消登記をしてその登記簿謄本を執行裁判所に提出すべきであったし、そうすれば本件売却を阻止できたから、これをしなかったことが不法行為に当たると主張する。

そこで、検討するに、一八八条は八一条を除く強制競売の規定を担保権実行としての不動産競売手続に準用しているので、不動産競売手続において売却許可決定後確定前に執行取消文書(一八三条一項一号ないし五号の各文書)が執行裁判所に提出され、かつ、執行抗告がされたときは、執行抗告において売却許可決定は取り消され(七四条二項、七一条一号)、競売開始決定も取り消される(一八三条一項、二項)ことが予定されていると解すると、抗告人の右主張には根拠があることになる。

しかし、執行取消文書も各号ごとにその性質及び効力を異にしており、一号文書に担保権不存在の既判力があるのと対比すると、担保権の登記の抹消されている登記簿の謄本(四号文書)の場合は、競売手続開始の要件となる文書であるとはいえ、その成立が専ら担保権者の意思に係る点で取下公文書(三九条一項四号)又は弁済猶予文書(三九条一項八号)に近い性質をもつといえ、強制競売において買受け申出後に強制競売の申立てを取り下げるには最高価買受申出人等の同意が必要であり(七六条一項、二項)、買受け申出後に債権者の弁済猶予文書を提出しても売却許可決定を阻止できず(七二条三項、三九条一項八号)、右取下公文書又は弁済猶予文書によっては、売却許可決定後に強制競売手続の取消しを得ることはできないこと、これらの規定は、買受人の地位の保護を図り、旧法当時のように不動産の売却を容易に妨害できることを防止することを目的としており、この要請は不動産競売手続にも同様に妥当すること、担保権の不存在等の実体上の手続障害事由は、競売開始決定に対する執行異議の事由となるから、売却の実施に入る前に執行異議により手続進行の可否の決着を図るべく、売却許可決定に対する執行抗告においては原則として手続上の瑕疵を争うことだけが予定されていると解すべきこと、この理由から、不動産競売手続に準用された場合の七一条一号には担保権の不存在等の実体上の手続障害事由は含まれないと解するのが裁判例及び裁判実務の見解であること、以上の理由から、買受け申出後に(又は売却許可決定後に)被担保債権を弁済して担保権の登記を抹消し、その登記簿の謄本を執行裁判所に提出して、競売開始決定の取消しを求めることは、買受申出人の同意がない限り、権利の濫用となると解すべきであり、多くの裁判例も同趣旨であって、裁判実務もこの取扱いによっていることからすれば、抗告人の右主張は失当であり、本件においても、成立に争いのない≪証拠省略≫によれば、控訴人は、平成五年八月二五日の開札期日に蜷川晋吾が最高価買受申出人となった後、債務弁済協定の調停申立てをして民事執行法に基づく執行停止決定を得、平成六年一月一三日右調停が不調となり、同月二六日に売却許可決定が言い渡されるや、これに対して執行抗告をするとともに、一に判示したとおり被控訴人に対して被担保債務の弁済の交渉をし、同年三月一〇日に本件弁済供託をして、売却許可決定の確定を遅延させたことが認められ、これらの事情の下では、控訴人が最高価買受申出人の同意のない四号文書を提出したとしても、右行為は権利の濫用として、許されないものであったといわなければならない。

したがって、被控訴人が、控訴人主張の弁済供託によっては被担保債務の全額が消滅しないとして根抵当権登記を抹消しなかったのは、債権者として当然の態度であり、法律上の理由もあったものであるが、仮に、弁済供託額が被担保債務の全額に見合ったものであったとして、かつ、本件根抵当権登記を抹消したとしても、前記判例の見解や裁判実務の取扱いによれば、執行抗告において売却許可決定が取り消される可能性はなかったのであり、被控訴人の担保権登記不抹消の不作為と売却許可決定確定及び代金納付による控訴人の所有権喪失の結果との間に相当因果関係はなかったものというべきである。

それゆえ、控訴人の主張は、この点においても失当であるといわなければならない。

三  よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないので、棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 小松峻 松永眞明)

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